♪ T.C.A.会報   2002.6.28 第96号
7月行事予定
 7月 5日(金) 定期練習 勤労福祉会館
    7日(日) 強化練習 八南公民館→地図
    8日(月) ボイス・トレーニング 佐奈川公民館
   12日(金) 定期練習 勤労福祉会館
   14日(日) 強化練習 八南公民館→地図
   19日(金) 定期練習 豊川市文化会館
   20日(土) 定期演奏会リハーサル 豊川市文化会館
21日(日) 第20回記念定期演奏会 豊川市文化会館
   22日(月) ボイス・トレーニング 佐奈川公民館
   26日(金) 定期練習 勤労福祉会館
★ 勤労福祉会館の和室は「さつき」のみで和室での練習はできません。★
 ★19〜21日の詳細スケジュールについては別途連絡があります。★

 いよいよ、第20回記念定期演奏会当日まで秒読み段階に入りました。
 暗譜はできましたか? チケットは売れましたか? たくさんのお客さんを感動させる、文字通り「記念」に残る素晴らしい演奏会を皆さん一緒に創り上げましょう。
第20回記念定期演奏会 ステージ衣装
衣装係より
 第20回記念定期演奏会のステージ衣装が決まりました。
 当日のお楽しみとして、ホームページでは非公開とします。
《第20回定演各ステージ曲解》
♪ 第1ステージ
中村均作曲『谷川俊太郎の詩による五つの歌』について (近藤惠子)

 この曲は5年前、豊川コール・アカデミー第15回記念演奏会のために中村均氏に委嘱し、初演したものです。我が団のために書かれてこの世に生まれた曲は常に愛唱して、その歌の生命 いのちが我々の中だけでなく、お聴き頂く皆様の心の中にも生き続けて欲しい?との思いで再演致します。(今年も新たに、青島広志先生に委嘱した曲が産声をあげようとしています。すばらしい曲を、今後も大切に歌い続けていく所存です。
1.魔術師
 過去も未来も、嘘も真実も、全て見えてしまったら、人生なんてつまらないものになってしまうのでしょう、きっと。鏡のうらは、のぞかないで!
2.五月の歌
 秘かにあの人を愛し始めたことを、柔らかい女声合唱が告白しているようです。「私が、新しい私と待ち合せする月?」と今までの自分にはなかった気もちに気付き、全ての風景が、時間が、男声合唱も加わり新鮮な姿で眼前に現れます。
3.夢
 夢のなかでの不思議な体験が男声合唱で語られます。・・・言った あなたは 「私を愛していない」とほほえんで・・・ 
4.魂のいちばんおいしいところ
 この曲集中唯一ア・カペラで書かれています。詩のすばらしさに心を奪われ、メロディーの美しさに、ふっと泣きたくなるような切なさに襲われます。
5.じゃあね
 この曲のようなさりげなさで「じゃぁね」と新しい世界に旅立てたら、どんなに素敵だろう?と時々思います。本当に「年をとるのはこわいけど?」。ジャズピアノでも聞きながら「じゃぁね」と。


♪ 第2ステージ
『リクエスト・トップ・テン』について (鈴木隆行)

第2ステージでは今までみんなが知っている歌を、 ジャンルにこだわらずに取り上げてきました。歌の持っている「人を動かすもの」は何なのか、そのことを、あらゆる歌の中から、 紡ぎ出す作業を繰り返して来たつもりです。良い歌は良い歌だというコンセプトで演歌からポップスまで、楽しい?寸劇も交えて 精一杯努めて来ました。
 その中で、反戦歌も多く取り上げています。今回も、「鶴」「死んだ男の残したものは」 「さとうきび畑」「花」の4曲を取り上げました。終曲の「花」は根底にソングライター、喜納昌吉の反戦と平和への 願いが込められています。
 我々の世代は戦争の直接の体験はありません。しかし、次の世代へ語り継ぐものはあると考えています。 例えば私の父親は背中に砲弾のかけらが食い込んだままですし、頭を弾丸が貫通した人も身近にいます。戦火を逃れ生きて帰還した 人がごく近親に居て、体で感じた戦争の悲惨を重い口調ながらも我々に話してくれます。この土地の例で言えば、 豊川海軍工廠の被災の体験談もその一つだと言えます。


♪ 第3ステージ 
『初夏から初冬へ〜「少年のカレンダー」より』について (青島広志)
 1970年代から合唱曲を、かなりの数書いて来たが、この10年ほどは、ほんのわずかしか書いていない。私が合唱から離れたのではなく、合唱が私から離れて行ったのである。もう少し具体的に言えば、私に仕事を発注してくれていた合唱指揮者が突然、仕事を回してくれなくなったのだ、私は7年間待って、そしてここ3年ほどは、合唱以外のオーケストラやオペラの指揮に手を染めるようになり、今度は合唱曲を書く時間がなくなってきた。
 しかし、合唱は私の原点でもあるので、依頼があれば書こうとは思っている。だから、ほぼ一年前に豊川コール・アカデミーと出会ったとき、今回の返事を二つ返事で引き受けたのだった。その少し前に見つけて、いつかは使おうとたくらんでいたアメリカの詩に作曲することを決定し、今年3月一杯は多忙だったため、4月一杯で作曲を完成させる予定だったが、突然の腰痛のために少し遅れ、この文を書いている6月21日現在、一曲のみ(8月)は、まだスケッチがあるだけで、演奏譜としては未定稿である。ほぼ毎日、体力を使うオーケストラの指揮があり、楽譜を書くことができないのだ。もしかすると私にとって、最後の合唱曲になるかも知れないので、何とか書いてしまいたいのだが、この文すらも、楽屋で、指揮してマヒした手で書いているのである。
 作品については、20世紀までに開発されたさまざまな手法が、穏健なかたちで用いられ、歌い易く、聞き易いが、しかし決して平凡に陥らないように工夫したつもりである。私が合唱から遠ざかった間に、無伴奏合唱曲が流行ったため、ピアノの使用が抑えられている部分も多いが、もともとピアノ付きという条件は、合唱団側から出たものだった。
 ――ということは、当日はピアノも弾くのである。合唱団の伴奏をよく弾いていた10代のころに若返って、当日は楽しもうと思う。皆さんにもお楽しみいただけたら嬉しい。
 (編集担当:.管理人.)