箱根八里
東京音楽学校教授の鳥居枕が、箱根の険しい山道を中国の難所になぞらえた歌詞をつくり、明治34年の中学唱歌の作曲課題としたところ、見事に選ばれたのが同校を卒業したての、滝廉太郎の作品だったのです。
中国地方の子守唄
テナー歌手の上野耐之が、郷里の岡山地方に伝わる子守唄を山田耕筰に歌ってみせたのがきっかけで、深い愛情と哀愁に満ちたこの名旋律が生まれ、昭和3年に出版されました。
叱られて
大正9年作の詩情あふれる格調高い旋律は、童謡の範疇を超えています。作曲者の弘田竜太郎は、清水かつらと組んで、「靴がなる」や「雀の学校」を残しました。
早春賦
春の訪れを待ち焦がれる気持ちを綴った吉丸一昌は、東京音楽大学の国文学者でした。大正2年に作曲した中田章も同じ学校の教授で、中田喜直の父上です。純情可憐な詩情と外国調のメロディーで、時代を超えて愛唱されてきました。
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