♪ T.C.A.会報   2002.12.06 第101−特別号
 101号で荻久保和明氏の解説を載せましたが、作詩者の吉原幸子氏の原稿が間に合いませんでしたので、特別号を作成しました。
 コピーをしようと思った朝、吉原さんの訃報を知りました。合掌。
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詩集「花のもとにて 春」の巻末NOTEより (1983年刊)

 去年の春、
90歳で亡くなった母の、一周忌に本を出そうと思い立った。ここ数年、ことに母入院後の3年間は枕許でペンをとる機会も多く、自然と彼女に関する作品が書き溜まっていたのだ。

 病人は握手をよろこんだ。今でも私は、深夜ベットに横たわり目をつぶったまま、自分の右手で左手を握り、左手で握り返して感触をたしかめてみる。
 臨終はあまりに急だったが、もし意識あるうちに私が立ち会えたとしたら、彼女の手はこのくらいの力で応えただろうか、このぐらいの温かみだったろうか、と。
 その右手と左手の握り合いのような(期せずしてそれは祈りのかたちに似ている)自問自答がこの本の内容なのかもしれない。

 母に密着して育ったということが、私に与えられた運命だったのだ。
母がいなくなったら、私は母に会うために鏡をのぞくことにしよう。私は私の内なる母を育てあげることにしよう(今、幼女のようになってしまった母を、私は本当に自分の産んだ娘のように感じることがある。意識が乱れた時、母の方も私をしきりに“母さん”と呼ぶ)そしてどこか一ヶ所でも母を超えることを目指して生きてゆこう。母のように強く。

 終曲「
The women(あのひと)は谷川俊太郎氏の「いきる」への返詩として書き下ろしたもの。

     生きているということ いま生きているということ
     あなたの手のぬくもり いのちということ
泣かないで

母よ母よ
たうとう あなたは間違えてしまった
毎日みてゐる娘の顔を

 <この子は早く母親に死に別れて
 わた
しが子供のやうに育てたのよ>

死んだ末の妹と間違へたのか
嫁に行った孫と間違へたのか
それから台所のすみにうずくまって
オイオイ泣いた

 
<何もわからなくなっちゃった
  何もわからなくなっちゃった>

わたしよ
鏡のなかに一本づつふえてゆくシラガを
そんなにもやすやすと じぶんにゆるすなら
(まして)

老いてゆく母をゆるさねばならない
母が老いてゆくことを

あなたにはじめて腕相撲で勝ったむかし
わたしは笑ひながら
たくさん泣いた
けふはあなたが泣いたので

わたしは笑はうと必死だったのだ
(まあ奥さま冗談ばかりおっしゃって)

追ひこされることは ちっともつらくない
甥っ子と海で石投げをすると
はじめはわたしのはうがとんだ
それからだんだん
キャッチボールのとき私の手がいたくなって
ある日 彼のボールがとれなくなった
丁度あのころ
わたしがあなたを追ひこしたのだ
腕相撲に勝ったのはほんとにつらかった

けれど今
あなたはわたしを もう一度追ひこして
ずっと先の方へ 行ってしまった

あなたが三分で忘れることを
わたしだって三日で忘れるのだから
永遠のなかでは たいしてちがはない

母よ
時間が夢のやうに流れて
いとしいものがごちゃまぜになって
うらやましいわ

泣かないで

ほら わたしのシラガをぬいてください
いつもの やうに
交流聞言

吉原氏の詩集は在庫が無く、豊橋図書館で見つけた(ただし閉架)。どの詩も感動的だった。その中から「泣かないで」を選んだ。
その日の午後「近藤文雄 50年の軌跡」へ行った。前衛的な絵画は不思議な世界だった。トークタイムで作品の背景を聞いた。不思議に見えた絵が何故か息吹いて見えてきた。
吉原氏の詩も、詩集に出会えたことで、情景が目に浮かび、気持ちが洗われてきた。お二人の作品にふれ、暖かな日であった。ありがとう。

 
 (編集担当:.管理人)